【映画】LAND OF THE DEAD
マスター・オブ・ホラー。ゾンビと言えば、この方、ジョージ・A・ロメロ。前作、Day of the Dead (死霊のえじき)からは20年ぶりの新作ゾンビ。80年代のゾンビ乱作時代から、衰退していたゾンビ映画が、21世紀初頭”走るゾンビ”として、バイオハザードなどで、復活。ロメロ・ゾンビ「ドーンブザデッド」のリバイバルの興行成績を受けてか、突如として、ロメロご本人の監督・脚本で、いわゆる「第4弾」が公開の運びとなった。
細菌か宇宙からの放射能か、原因不明で、蘇えった”死体”。人肉を食い、食われた人間は、数時間で死に、また”歩く死体”になる。
いまや、世界は、”歩く死体”で埋め尽くされていたが、一部の生き残った人々は、富豪のカウフマンが作った、大きな川と高電圧の金網で囲まれた”都市”に住み、以前と変わらぬ生活を送っていた。
食料や生活に必要な物資は、”傭兵”たちが、囲まれた都市の外に出て、郊外の田舎町から、ゾンビに襲われる危険を覚悟で、略奪してくるのであった。
そんな、ある日、一人の”歩く死体”は、知恵を持ち始めた。本能で、人間を食うだけでなく、道具を使うことを自覚しはじめたのだ。
知恵ある”歩く死体”は、光り輝くタワーのある”囲まれた都市”を目指して、歩き始めた・・・
昨今の”走るゾンビ”ではなく、そこはロメロ、”よたよたと歩くゾンビ”が、大量に、序々に、ゆっくりと、撃てど殺せど、数で勝負。ついには、生きたまま、内臓を、素手で、ひきづりだされ、痛みと恐怖に、あえいで死んでいく人々を、あいかわらずの緻密さで、描いておりました。
しかも、今回は、集団で無能で、よたよたと歩き(あるいは、高速に走り)人間を生きたまま食う、どちらかというと単純なホラーではなく、知恵ある”ゾンビ”という新しいゾンビ像を・・・
いや、結局、とどのつまり、ロメロのゾンビが他と一線を画すのは、ホラーの形態をとった”社会派”作品なところ。
地球温暖化、なぞのウイルスをはじめ、テロや紛争・・・明日、死ぬかも知れない現実が、あたり一面、どこにでもあるにも関わらず、「囲まれた国家」の中に、閉じこもり、見てみぬふりをして、さも自分は安全だ、と思っている現代人。
関わりを持つことを恐れるがあまり、生きている、とは、ほど遠い、人間と、”歩く死体”に、どれほどの差があるのか。
やはり、ロメロ節は、あいかわらずで、今回の”知恵あるゾンビ”と、わたしたちとの差は、過去の3作以上に、緊密で、どちらが人間なのか、わからなくなってしまった。
”知恵ある死体”を見て、物語の最後に主人公がつぶやく。
「俺たちと同じさ」
ストレートなロメロのメッセージに、え?これ、ホラーだったよね、たしか、と、毎度のことを思うのであった。
前作Day of the Dead(死霊のえじき)で登場した”知能あるゾンビ”バブくんの登場の「答え」とは、すなわち、”生きているか死んでいるかわからず、死ぬことなどないように(死んでいるかのように)生き、まるで、生きていなかったかのように死んでいく”ことが、ゾンビも人間も差がなく同じようなものだ、ということであった。
ゾンビは本能のまま徘徊し人間を食らう。しかし、知能あるゾンビも本能のまま徘徊し人間を食らう。そして、人間はというと、本能のままウロウロして、いくあてもなくさまよい、己の欲求を満たそうとする。
最終的に、たどりつく”行くあて”は、なく、永遠にさまいよつづけるのだ。死ぬまで。
時代のせいか、どちらかというと、おちゃらけだった、ゾンビシリーズ。本作は、はじめから最後まで、一瞬の間も持たせず、ハードボイルドな演出で、つらぬいており、非常に好感が持てるサバイバルホラーの桂作として仕上がっている。
ホラーというジャンルが、わーわーきゃーきゃー言って、笑っていられる時代は終焉したのである。
なぜなら、日常生活そのものが、ホラーなのだから。