★ The Tsuchinoko News 2 (つちのこ通信2) ★

重要な話から、どうでもいいことまで。ほとんど役に立たないことを書き連ねています。

【仕事】良いモノを作れば売れる時代は終わった。

今週のお題「今だから言えること」

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かつて日本の高度成長期には「作れば売れる」時代は確かに存在した。毎年毎年、新製品が出れば誰もが飛びつくように買った時代、それはすなわち「作れば売れる」時代でもあった。これはバブルの頃まで延々と続き「よいものを作れば必ず売れるのだ」という神話、あるいは都市伝説を産み出す土壌を形成した。

その「よいもの」とは何か。

ものづくりに於いては、ものの価値は「品質(できばえ・みため)」「納期」「コスト」の3つが基本で、これ以上にはない。

例え誰かが「新しい価値観だ」「イノベーションだ」と言ってみても、それは「品質(できばえ・みため)」と「納期」と「コスト」の3要素の組み合わせが少し異なるというだけで、ものづくりに於いては抜本的に全く新しいものは存在しない(と、考えて間違いはない)。

すなわち「よいもの」とは、この3つの要素について「以前より良い」ものということになる。買い手は「以前より良い」ものであれば買っていたわけだ。

そして作り手・売り手・技術者・販売者は、いつも「以前より良い」ものは「売れる」と確信し「よいものを作れば必ず売れるのだ」という神話、あるいは都市伝説を信じ込んでいった。

しかし時代は下り、そうした「よいものを作っても売れない」時代が到来する。いくら「よいもの」を作っても売れないので、今度は「買い手が欲しがるものを作れば売れる」という「よいもの」とは「買い手が欲しがるもの」になっていく。

実は「(以前より)よいものを作れば売れる」も買い手からすれば「それを欲しがっている」わけだから、マーケティングとして考えれば同じことなのだが、ともかく「買い手が欲しがるものをつくれば売れる」ので、と、モノは次から次へと高機能化していく時代へと突入する。

それはガラパゴスなんとか、と言われるほどに標準的な同様の製品から外れた独特のものづくりへと変貌するが、ここで3つの要素を考えると、機能=品質が増大するのだから、当然、納期あるいはコストも増大するわけだが、買い手はそれを納得していない様子で、機能はアップ、納期とコストは早く安くと、ものづくりの基本構造を無視した「それを欲しがる」ことになっていく。これは歪みである。

スティーブ・ジョブスは「ユーザーは自分が何を欲しているのか知らない」と言っていたが、まさにその通りで、ユーザーはその製品の完成品について意見することはできても、これからつくる製品について正確に意見することは難しい。そのような機能が欲しいのか、どのような製品が欲しいのかを問うても、聞かれたから思いつくことを並べるだけのことで、本当に欲するものではない。なぜならユーザーは、ものづくりの専門家ではないからだ。そして多様な意見を製品に反映させた結果、高付加価値と呼ばれるあれもこれも何もかも、な製品が世に氾濫しつつも、これもまた「売れない」ことになっていった。

 

いくら「よいものを作っても売れない」時代。

 

「良いモノを作れば売れる時代」は、もうずいぶんと前に終わってしまったのだ。

 

しかし反面、それが売れた時代もあった。

 

どのように考えればよいのかといえば、これらの問題の本質は「ユーザーの価値観」ということに尽きる。価値観は時代によって変わる。「(以前より)よいものを作れば売れた時代」は、それが価値観だったのだ。また「高機能・高付加価値」の時代は、それが価値観だったのだ。そして、この二つの時代の共通項は「みながみな、そうだった」ことだ。誰もが同じ価値観を持ち、となりの芝生が青く見え、たった一つの価値観での勝ち負けを意識し、ということでもある。

そして「よいものを作れば売れる」神話・都市伝説の中では、それらは「コンセプト」と呼ばれ、できるだけ多くの共通項を含んだ「コンセプト」や「価値観」を探すことに主眼が置かれ続けていた。今・現在も、そうした「コンセプト」や「価値観」探しは続いている気もする。しかしなかなか見つからない。「誰も彼もが同じ価値観」ではなくなってきているからだ。

 

現在においては、”誰もが同じ価値観”で、同じ一つのコンセプトを求めるという仮定も、揺らぎつつある。もはやすでに揺らいで倒壊しているかも知れない。

一言でいえば「価値観の多様化」ということになるのかも知れない。

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例えば図のようなコンセプトであっても、今は売れないのだ。(品質はどこでも同じ、コストと納期について、差別化している。一時代前ならこれで十分に売れただろう)

Aさんが欲しくても、それはBさんが欲しいとは限らない。

Bさんが素晴らしいと絶賛しても、Aさんは蚊帳の外。

ではAさんもBさんも欲しがるように、Aさんの欲しがる点・Bさんの絶賛する点を取り入れた高付加価値商品は売れるのかといえば、Aさんも、Bさんも買わない。

Aさんにとって、Bさんの絶賛する機能は、むしろ不要だ、あっては困るわけで、

Bさんにとって、Aさんの欲しがる機能は、むしろ不要で、あっては困る。

AさんとBさんの両方の要求を満たすようにしたところ、Aさんの要求にもBさんの要求にも応えられなくなるというわけだ。

 

はてさて、こうした「価値観の多様化」に対して、3つの要素=品質(できばえ・みため)、納期、コストはどうあるべきか。今もって「(以前より、あるいは、他の製品群より)良いモノをつくれば売れる」と、いかに信じようが売れないものは売れないのだ。たとえ「Aさんがこう言ってるから、この機能もつけて、Bさんがそう言うので、その機能も」と、てんこ盛りにしたところで、やはり、売れないものは売れないのである。それはどれほど「著名」であっても直接的な意味はない。なぜなら、その押し売り的価値観を、人は共有しない時代だからである。

 

では、どう考えるとよいのか。

答えの一つは「シンプルぷるぷる」にあると筆者は考えている。

品質(できばえ・みため)のシンプルさも、さることながら「わかりやすい(理解しやすい)」「それがユーザーにとって最良の選択肢のひとつであることがカンタンに理解できる」そういった「シンプルぷるぷる」さ。

「すごい」「売れている」「みんな買ってる」ではなく、(あなた個人にとって)わかりやすく、理解しやすい、なじみやすい、使いやすいなど。

もちろんこれらは「一つの価値観を提示しているわけではない」のでメガヒットにはつながらない。しかしあっちの小集団、こっちの小集団に売れるのである。

意外なことだが、かつてのものづくりでは、一度もこれが出てきたことがないのだ。その理由はさておき、またの機会に「シンプルぷるぷる」について解説してみたいと思う。