【会長】秋の新生銀行
今週のお題「秋の新○○」
私は株式会社エヌジェイシー会長。諸君、弊社エヌジェイシーの秋の展示会には足を運んでくれたかな。もちろん運んでくれたことであろう。感謝だ。
さて、新生銀行といえば思い出さずにいられないのは日本長期信用銀行の経営破綻だ。バブル崩壊前(昭和も終わろうかなという頃だが)、新聞を開くと「リッチョー」「ワリチョー」など親しみやすく覚えやすい名前で広告が載っていたもので小学生でも知っていたほどだ。しかし昭和の末期、バブル崩壊とともに日本長期信用銀行は経営破綻、国有化を経て投資組合に売却される。このあと名称変更したのが「新しく生まれ(変わる)」新生銀行だ。
バブルの頃は「マクドナルド・ハンバーガー」を10円で買って、となりの人に20円で売る。20円で買った人は、またとなりの人に30円で売る。と、これといった生産活動をしなくても、横流しすれば「金額」が増えて、儲かった気がするらしく、誰も彼もが、ばかばかしくて働く気などなく、ただ「資産」を転がしていれば青天井にどこまでも儲かると、どう考えてもおかしい話を信じこんでいた。
正確にいうと信じ込んでいたというよりは、思い込んでいたのだろう。
日々、株価はぐんぐん伸びて、100円で買ったものは何もしていないのに1000円に10000円にとなるため「儲かった」と思い込んでいたのである。
金融・経済の専門家だったはずの銀行もご多分に漏れず、日本長期信用銀行は何を思ったのか、もはやバブルはすでに崩壊し、後は失うことしかない状態で、突如「土地転がし」に手をだす。不動産融資への注力だ。
当然、あとで不良債権をしこたま抱え込むことになり、破綻へとまっしぐら。
さて、私は「金が金を生むわけはない」と考えている。
マクドナルドのハンバーガーは、マクドナルドのハンバーガーの価値しかなく、それ以上でも以下でもない。金額がその価値を決めるわけではない。金に力などないということだ。しかし、金に力があると思い込んでいると、10円のものが10円に見えず、横流しで100円で売った時の90円の利益しか見えない。
マクドナルドのハンバーガーが見えないのだ。(つまるところ価値を知らないということになる)
たとえばもしマクドナルドのハンバーガーを0円で産み出すことができれば、産み出すことのできた者は、それが1円であれ10円であれ利益を得ることはできるだろう。しかし、それを買ったものは、まずその段階で損を出しているわけなので、理不尽なまでの「付加価値」を提示しないと利益を出すことはない。その「付加価値」が「いま、これを買うと、儲かる」だ。
バブルの頃は、高度成長期の直後で、なるほど、常に”右肩上がり”の成長が常識だと勘違いしても仕方がなかったのかも知れない。しかし、どう考えようが、どのような理論があろうが、金が「等価価値交換」の利便性を高める”代わりのもの”という価値しかない根本原理がある以上、それが続くことはありえない。
まさに「あぶく銭」。泡はいつしか割れる。バブルは崩壊するのだ。
それから10年、20年と経過する。はたして私たちは過去に学んだのであろうか。まったく学んでいないし、同じ事を繰り返していることはリーマンショックで証明済みだ。
私も株式会社の会長なので、株式を保有している。わずかだが(笑)
配当があることもある。
しかし転売を繰り返して、変わっていない価値のものを、あたかも価値があがるかのように(つまり、資産そのものを転売して)は思わない。それはすなわち、あぶく銭でしかないからだ。
金がないと、よく「刷ったらよい」と言う人がいる。価値が変わらないので貨幣が出回れば一時的には経済は好転するだろう、しかし、その後待っているのはデブレだ。
いまの経済政策そのものが、異次元の緩和によって為されていたことは、私にとっては重要な気がかりの一つである。
実は私も役員の立場ではないが、何度も倒産を見てきたし経験もしている。(数が尋常ではないので、めずらしいのかも知れないが)その都度考えさせられるのは、「楽して儲けよう。常に右肩上がりでいよう」という発想からは失敗しか生まれないことだ。結果としての、効率的な利益確保と右肩あがりはあるだろうが、金優先になった時点で、その先は短いのである。
「のである」と言い切っているが、ネコに小判。私には金のことなど、どうでもよいのだ(笑)
では諸君、また会おう。