【PC】ネット動画ビジネスの二度目の終焉
かつて、2000年頃に「これからは動画ビジネスの時代だ」と、ネット上で盛んに動画(ビデオファイル)がアップロードされ公開、ビジネスとされた時代があった。ちょうど光回線によるブロードバンドで大量のデータを高速に配信することが可能になったのと連動し、さまざまな事業者が動画配信サービスを開始したが、これは結局ビジネスにつながらず終焉を迎えることになった。
当時、まだテレビが動画の主体であったこと、今のようなスマホやタブレットがなくパソコンしかなかったこと、パソコンの利用法で動画を目的とする人口そのものが少なかったことなど、消費者・視聴者の受け入れ体制が未整備で、いわば先端すぎて誰もついてこれなかったというようなことが終焉の一つの理由だと言われている。
それでも細々と事業者の試験的な運用はつづき、スマホやタブレットの普及にともない、今度は You Tube をきっかけとして動画配信ビジネスはにわかに活気づく。
スマホやタブレットの回線も 3G→LTEと大容量高速化し、一度目の終焉の時代とは異なり、消費者・視聴者の受け入れ体制は整ったように見えた。動画配信事業者も You Tube を筆頭にニコ生、ツイキャスなど増え続け、Googleが You Tube を買収してからは、「動画広告」が挿入されるようになり、PV(ページビュー・閲覧数)によって広告費が動画の投稿者に支払われるようになり、それがマスメディアで大きく取り上げられるなど、ここ2~3年の進化と発展の勢いは大きなものであった。
当然「これからは動画ビジネスの時代だ」と、かつて一度終焉を迎えた景気のよいテーゼは復権。”好きなことで生きていく”というマルチの勧誘のようなキャッチコピーで Youtuber という動画配信で人気を博し、それで生計を立てるようなライフスタイルも登場、大きく話題となった。
さらには HTML5 というブラウザの表示規格(のようなもの)が登場し、Flashというリッチコンテンツが基本的にはスマホには搭載されていないという技術的事情、スマホの画面の小ささという事情などから「目立つには動画だ」と、Flashから JavaScript にとって代わられた”わりと地味な”リッチコンテンツに代わって「これからは動画」だと、ありとあらゆるページに「動画のCM」が流れるようになった。
動画ビジネスは、今後ますます拡大機運のように見えた。
しかしここに来て、Youtube が PV に対する広告料を 4分の1ほどに減らす。
Youtuber と呼ばれる”好きなことで生きていく”方々は、それでは生計を立てられなくなりはじめ、今後は動画で生計を維持することはできず、縮小していくことだろう。
また、昨年は、いたるところに動画CMがあり、マウスを近づけると巨大化して再生を始めるなど、ずいぶんと見かけたものだが、ここ最近それがずいぶんと減っている。こちらも縮小機運だ。
ネット動画ビジネスは二度目の終焉を迎えようとしている。
なぜ、そうなるのか。
非常に簡単な話で、ユーザーは映像として放送として完成度の高い作品、たとえばスポーツの実況中継や映画作品など「動画コンテンツ」を見ることはあっても、それ以外は移動時間の数分間に、記事を読みたくて、あるいは画像(写真)を見たくてネットを利用しているわけで、CMを見たくて見ているわけではない。
メインとする自分の読みたい見たいコンテンツに、強制的に割り込んでくるCM動画は「ウザイ」というわけだ。それが例え数秒間のことであっても「ウザイ」ものは「ウザイ」。静止画像のCMであれば興味があるときにクリックすれば(ハイパーリンク)済むが、動画の場合は、時間も何もかもをユーザーから奪う。
このことが嫌われていることは大きい。
テレビのように「ながら見」が出来るのなら話は別だろうが、スマホやタブレット、PCの場合は、BGVというわけではなく何らかの目的で利用していることが多く、その没入感や目的意識の中、要求していないCMが強い主張をもって表示され、ユーザーの時間を強制的に奪うこと事態に嫌悪感を覚えるわけだ。
このことは、例えば YouTube の視聴者の多くが小学生だったり、ニコ動の視聴者の多くが中学生であったりする統計・推計情報からも明らかだ。(つまり、もてあました時間があり、金を持っているわけでもなく、コンテンツに強い目的のない、テレビではないものとしてテレビ的に流し見している世代で、コンテンツの内容にさほど品質を求めていない方々)
さらに、その効果について、例えば大人の女性向けの商品(化粧品など)を製造販売している企業がCMを出すには、そのコンテンツを大人の女性が見てくれなければ効果はないわけで、動画CMを出したところで小中学生しか見てくれないのなら、じゃあ他に広告費を使うよとなっても、それは至極当然のことだったりもする。
また、せっかくの動画CMを出しても、それが嫌悪感をもたれては、CMの意味がない。どれほど素晴らしいCM映像をつくったところで、それが、2000年頃の JavaScript だらけのキラキラしすぎの醜悪ページと同じように見做されるのであればどうしようもないというわけだ。
これらのことは、テレビとスマホ・タブレットの情報の受け取り方の違いを理解できていないことから起こるように筆者は考えていたりする。
すなわちテレビは、古来家族みんなで見る(あるいは意図していなくても見てしまう)ような受像器だが、スマホ・タブレットは個人個人が手にとって、みんなで見ない。超プライベートな受像器だということだ。
ここに割って入ってのCMであるわけだから、その内容、その出し方も、もっとターゲット層を絞り混んだものでなくてはならないはずだ。しかし、マス広告の構造上、そうしたランチェスターで言うところの弱者戦略のようなことにはならない。強制的に見せる(時間を奪う)テレビのような手法を前提として成り立っており、クリックしてから再生ではなく、強制的に見てもらうためのつくりになっている。仮にこれをクリックして再生するのであれば、静止画と同じだ。動画CMである意味がない。言い換えれば、テレビと同じ手法・同じ考え方の従来の広告代理店的発想はありえないということでもある。
そしてネット動画ビジネス(とくにCM)は二度目の終焉を迎えようとしているわけである。反面オンデマンドサービス、作品を放送するネットサービスは今後は延びていくことであろう。動画CMも、この番組内なら役立つかも知れない。ただ、いずれにしても、数チャンネルしかないテレビで視聴率を競う感覚では、数万チャンネル、数十万チャンネルにも及ぶネット動画配信サービスの中では厳しいだろう。
はたしてそれを誰が見るのか。どういう効果を期待するのか。こうした視点が抜け落ちている気もしたりする。気づかないのか、知っているのだがあえて言わないのか。それはよくわからないが、いずれにしても、広告の原点を見直す必要があり、なんらかのイノベーションが求められるのである。