★ The Tsuchinoko News 2 (つちのこ通信2) ★

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【映画】カイジ〜人生逆転ゲーム〜

f:id:tsuchinoko118:20111112193653j:image:left:w220筆者は、漫画を読まない。アニメもほとんど観ない。しかしめずらしく筆者も原作を知ってて愛読していてファンだったりしてアニメも観たりしていたりする作品の実写映画「カイジ〜人生逆転ゲーム〜」。

この「人生逆転ゲーム」という、たいへんビンボくさいサブタイトルは何だかな。本編では、このサブタイトルはなく、ただ、「カイジ」とタイトルが現れる。宣伝用なのだろうか。

友人の借金の保証人をしていた主人公カイジは、「明日を夢見ながら」、「とりあえず今日は何もしない」で、ベンツを蹴飛ばしたり(原作ではエンブレム盗み)、日々の不平不満を、酒でごまかしていた、やる気のない若者。誰かが運をはこんでくるだろうし、なんの根拠もないけど権利はあると主張し、まるで幼稚園児のように、周囲から面倒を見てもらうことを期待し、それでいて、裏切られたと主張する、どこまでも、「負け組(自称)」の青年であった。

その「友人」が夜逃げをしたので、と、遠藤金融のコワもての面々に債務を保証するよう迫られ、どうあがいても、金を用意できないカイジは、遠藤から「エスポワール」という客船に乗り込むよう勧められる。

そこでは、「負け組(自称)」の若者がたくさん乗船しており、これから、あるルールの「ジャンケン」をして、勝ったものは借金もチャラ、娑婆に復帰でき負けたものは、別室行き(地下帝国建造のための奴隷使役)になるという。

そして、カイジは・・・・・


f:id:tsuchinoko118:20111112193651j:image:right:w220映画の宣伝などでは、なぜか、「友人の借金の。。。」が強調され、それを返済するために、と、まるで友情劇のような、お涙頂戴ものっぽい「解説」や「レビュー」が多いが、そもそも、カイジは、そのような青春劇場ではない。

原作をご存知の方なら、「友人の借金を肩代わりした」というよりも、「信用していた友人に、いきなり裏切られた」というほうが、ピンとくるだろう。無論、その「信用」も、いい加減で、てきとうな無責任なものなのだが。

カイジで描かれる世界は、なあなあの人生の友情や義理など、いざとなれば、とっとと裏切られる現実と、そこに、しがみついて、それ故に、負けに負ける人生を送るカイジの葛藤が描かれる。

それは友情の否定ではなく、なにをしたわけでもないのに、自分の立派さを、互いにたたえあうことによって、得られる「自分って、すごいな〜感」の幻想。

ましてや、命がかかったギャンブルゲーム。
自分の命や金を犠牲にしてまでの友情や義理は存在せず、あくまでも、互いに何もしないで、うたってきた拮抗は、あっという間に崩れ去り、結果、裏切りあう。

「カイジ」は、主人公カイジが、やる気のない、ただ、なあなあの毎日を過ごし、それでいて、友情や酒で、酔っているうちに、年をとり、人生をただ無為に過ごすうちに、不平不満がたまる中、友人の裏切りをきっかけに、「死のギャンブル」を次々と体験、それまで甘ちゃんだったカイジが、次第に、大人へと成長する?狂気の世界を知り、スケールアップする?サクセスストーリーだ。

ただし、普通なら、レースに出て優勝するとか、がんばって成果をあげるとか、既存の価値感の中で、主人公がサクセスしそうなものだが、この「カイジ」は、一筋縄ではいかない。

原作者の福本伸行の手にかかると、「天」「アカギ」と同じく、独自のルールをもった変な試合=ゲームに変わる。
そして、いちいち、命がかかる。

カイジでは、まず「限定ジャンケン」が登場する。たかだかジャンケンで、いちいち心理戦や欲得の裏切り、そして、命がかかる。
この”命がかかる”のがポイントで、冒頭にあった「借金の返済」は次第に、カイジの脳裏からも、その不安、抑圧が消えていく。むしろ、命がかかるギャンブルに、のめりこみ勝負師として、いままでの「負け負け逃げ逃げ」人生から、反転、「勝ち」を求めていくことによって、「いま、実際に、生きている」カイジの、活き活きさが、本作の主題である。

カイジは、自分の人生が浮かばれないのは、すべて、他人のせいにしていた。

彼は、死のギャンブルを通じて、自分の人生は、自分で切り開いていくものだ、という認識に成長していく。

だからこそ、裏の支配構造である「帝愛」に、挑んでいくのである。
自らの命を賭して。


さて、映画の話に戻ると、原作のエピソードからは、「限定ジャンケン」「鉄骨渡り」「Eカード」が登場する。カイジ全編ほとんどじゃん。と
原作マンガがある作品にありがちな、「駆け足のダイジェスト版」になっちゃうのか、と愕然としていたら、おどろくことに、この3ゲームを自然な流れに変え、それでいて、違和感なく、まとまり おまけに、無責任で、日々だらだらとし、不平不満を口にする ビンボ青年 から最期には、”立派な男”に、成長しているのだ。

きちんと、1本の2時間ドラマになっている。

これは快挙。
よく、まとめたもんだ。

また、CGやVFXなど無関係そうな作品なのに、ちょこちょこと、クオリティの高いCGやVFXが登場。これにも驚かされた。
ちなみに、筆者は、高所恐怖症。鉄骨渡りのシーンでは、ほんとうに脂汗をかき、落ちる恐怖を感じ、映画館のシートをぐっと握り締め、その場から、逃げたいくらいであった。他の作品の高いところから落ちるシーンで、そこまでの恐怖を感じたことはなかったが本作では、それがあった。もう、それだけで、本作は価値がある。

そして、俳優陣。

主人公カイジには、デスノの夜神月でもおなじみの藤原竜也
最初、聞いたときは、え〜〜〜っと思ったが(笑)、
大袈裟すぎる劇団風のリアクションが、原作の、激情にかられ何かにつけては大袈裟な主人公の姿を、きちんと表現していて、この、いかにもデタラメくさい世界観に妙にマッチしていた。

デスノのLの松山ケンイチも登場。このひとは、あいかわらずの「マツヤマケンイチ演技」で、原作では結構重要な登場人物であった「佐原」を演じる。映画では、佐原は、ほんのチョイ役。

悪徳金融=遠藤金融の社長、遠藤は、どういうわけか、女性。
宝塚の男役出身の天海裕希。
「これは、ないよな〜。なんで遠藤が女なんだよ〜」と思っていたら、
カイジを罵るシーンなどでの、啖呵、怒声、リアクション、声のトーンなどなど「おっさん」そのもの。これには、驚かされた。
姉御肌の啖呵ではない。「怒鳴り散らす おっさん」
たいへん好感を持った。そして、最初から最期まで、「女性である意味」はなく、ただ遠藤として、カイジの周囲に、まとわりつき、最期のドンデン返しで重要な役回りをすることになる。

利根川には、香川照之
原作では、遠藤といい利根川といい、でっぷりとしたオヤジなので、こちらも「うわ〜、これも、ないよな〜」と思っていたが、さすがは香川照之。神経質な利根川を、きっちり、演じていた。
福本マンガ特有の、「心のつぶやき」も、香川照之の声の演技がバッチリで、その「心理戦」を十二分に堪能することができた。

というわけで、ウソのように、100点満点。

たいへん、よく出来た作品であり、存分に楽しむことができた。
映画を観て、鳥肌がたったのって、ひさしぶりじゃないかな。

この時期に「カイジ」を取り上げているということは、つい今さっき「カイジ2」を観てきてまたもや鳥肌が立ったので、その前振り。レビューは明後日の予定です。