★ The Tsuchinoko News 2 (つちのこ通信2) ★

重要な話から、どうでもいいことまで。ほとんど役に立たないことを書き連ねています。

【映画】ジョー・ブラックをよろしく

f:id:tsuchinoko118:20121122160419j:image:left:w26030年代の明日なき抱擁という映画のリメイクだそうで、内容もわからずブラッド・ピットとアンソニー・ホプキンス出演だということで見てみたら、これはおそらく恋愛映画なのではないかと最後に気づいた(笑)
とにかく時間が長く、似たようなシーンが繰り返されるなど冗長で、これといったオチも何もない作品なので、あれだがストーリーは以下のようなもの。

成功を収め老齢になった実業家ウィリアム・パリッシュは、最近心臓が苦しくなったり、そろそろ死を意識しなくてはならない。ある日「死期は近いのか」と自問自答すると「イエス」と答えるなぞの声が聞こえた。
ある日の朝パリッシュの娘スーザンがコーヒー・ショップにいると、よく話す好青年が現れた。名前も聞かず短い挨拶を交わしただけだったが、スーザンも青年も相手のことが気になって仕方がない。しかしそのまま別れる二人。その直後、青年は車に3度ほどはねられ即死した。
ウィリアム・パリッシュの65歳の誕生日を祝おうと夕食を兼ねた会合を持つ彼と彼の娘二人と彼の会社の役員たち。そこに、朝の青年の顔をした青年が現れた。
青年は「自分は「死」だ」という。
「死」は人間の世界に興味を持ち、ウィリアム・パリッシュに人間世界の案内を頼みにやってきたのだ。ウィリアム・パリッシュの死ぬ前に。

f:id:tsuchinoko118:20121122160438j:image:right:w300「死」であることを隠せと言われ、「彼はジョー・ブラックだ」と紹介してしまうウィリアム。
彼の名前は、しばらくの間「ジョー・ブラック」ということになった。
スーザンは、朝のコーヒーショップの青年であることに気づき、少しうれしくなったが、どうも朝の彼とは異なる。あのよく話す好青年ではなく、どこか暗い影のある無口な人物だったからだ。
「死」=「ジョー・ブラック」は、そんなスーザンに興味津々。

しだいに二人は惹かれあい恋心をいだいていく。

まもなくウィリアム・パリッシュが死を迎え、彼とともに人間世界を去らねばならないというのに・・
はたして彼らの運命はいかに。

最初の数十分は大変興味深い展開が続くが、「死」がジョー・ブラックと名乗ってからは、非常に冗長にだらだらとしたシーンが続く。パリッシュと「死」の関係を描くためなのか、パリッシュの会社が買収話しに巻き込まれ、若い幹部連との争いになりつつも、スーザンとの恋心を描くためなのかスーザンの身辺事情も何かと騒々しい。このため、主人公である「死」が、あちらこちらに翻弄されているように見え、スッキリしない。
また「死だ」と言ってるわりには、人間の姿でうろうろしているだけで、何か「死」らしい特別な能力があるわけでもないようで、”朝のコーヒーショップの青年”と”死”の区別は、ブラッド・ピットのおなじみ目の演技だけに頼っているところがあり、ラストが、余計にわけがわからなくなってしまっている。

f:id:tsuchinoko118:20121122160457j:image:left:w300ネタは興味深いのだが、いろいろ難点が多く、もうちょっとシンプルにまとめた方が良かったのではないかと思う。周辺事情が多すぎ、細かすぎるのだ。さらに、せっかく「死だ」と言ってるのだから、「死」らしい何かが欲しかった。

とくに日本語訳では「死」ではなく[死神」と訳しているので、余計に世界観が理解不能だ。

「死神」の解釈には、いろいろあろうが「死神」と「死」は違う。
「自動車」と「運転手」は異なるし、パソコンとユーザーは根本的に違う。

「死神」としてしまうことで、電車男のようなラブストーリーになってしまうわけで、この点で大失敗な気がする。

そして最後のせっかくの盛り上がり部分「ボクの正体を明かしてやる。ボクは国税局の査察官だ」はないだろう。「死」である事実は、うやむやのまま、物語は終焉を迎える。
正直いって腹が立ってしまった。

いまいち感たっぷりの本作であった。