【映画】ターミネーター3 RISE OF MACHINES
この3って、1〜2の流れを、ことごとくあっさり裏切ってたりするので
一般的には不評だそうだが、興行成績はダントツで1位だったりするから、従前のターミネーターシリーズとは異なる単なるSFアクション大作だと思えばよいのかも知れない。
ジョン・コナーが全く活躍していない(俳優の顔が悪いとか鼻の穴が大きいとかいう話は、おいといて)
T-X が 女性型である意味がない(最新型なので 骨格+液体でコンパクトらしいのだが)
シュワちゃん演じる T-101 の活躍が1〜2の焼き直しで、サプライズがない。
最後にスカイネットが発動してしまい、RISE OF MACHINESのサブタイトル通り人類が敗北し機械が勝ってしまう。サクセス感がない。
またサブタイトルどおり「結局機械は目覚める」ことにテーマがあると、
解釈すると、今度は2体のターミネーターの存在する意味がわからない。
単に書き込み不足なのかも知れないが。
など、不評の要因にはうなづける。
しかし頭を白紙にしてみると
世界は前作で救われた。救われたため、することがないジョン・コナーは、ぶらぶらと放浪し、定職にも就かず、家も持たず、毎日を無為に過ごしていた。
その頃、未来では、ターミネーターを2回も送ったのに、作戦に失敗したので、原因を機械なりに反省し改善策を追求してみたところ、結局、自身がはなったターミネーターが、捕まり命令を書き換えられ、逆に、人間の味方になってしまうので、今度は、「対・ターミネーター」のターミネータが必要という判断が下された。
人をターミネイトするのではなく、ターミネーターをターミネイトする。T-Xという新型ターミネーターは、そういうコンセプトのもとに産み出された。最初の T101(頑丈な骨格) 次に T1000(液体) の失敗から、
今度は両方を組み合わせ腕にプラズマ砲を仕込み、対ロボット戦を前提に、と。
単にジョンコナーを狙っても、これまたターミネーターが邪魔をするので、その仲間全部を狙うよう、なんとも、わかりにくいが、
きちんとした理屈によっての作戦であった。
毎日をブラブラ過ごしてきたジョン・コナーは、「その時が来た」ことを知る。そして、自分をとりもどし、目的に向かって進んでいく元気さを、T101から教わる。
もちろん、1で、2で、そうしてきたように、
「スカイネットの作戦を阻止する」ことを目的に
というわけだ。
ところが、実際には、スカイネットは「基幹コンピューター」というハードウェアではなく全世界に散らばるウイルス・プログラムで、実態がなく、破壊は不可能。
T-Xも、T101 vs T1000のときのように頑張れば何とかなるというものではなく、明らかな力量差で、破壊は不能。
とるべき”目的”は、「逃げても隠れても、とにかく生き残ること」
ジョン・コナーには、それが、”前向きな目的”には思えなかったのだろう。観客の我々も、そんな消極的な映画があるもんか、と思ったものだ(笑)
ともかくスカイネットと T-X を阻止しに向かうが、最終的には、勝ち目はなく、あたかも最初から決められていたかのように、「失敗する」
しかし、「生き残ること」は、「成功した」
映画としては「いったい何だ、その結末は」と思っても、ターミネーターシリーズの世界観としては、1から2で、サラ・コナーが成長したように、ここで、ジョン・コナーは、大きく成長するのである。
自分が思っただけの熱血漢、正義感、そのようなもので動いていては、こうして、「あきらめるしか」なく。
生き残ること。すなわち、人類が絶滅しないことのために、戦うことが、
「正しい正義」なのだと、気づかされたわけである。
ああ、なんと、文学的な段落で、一般ウケのしないストーリーなのであろうか(笑)
しかし、これがなく、単なる「常勝将軍」であれば、いずれは大きな過ちを犯し、人類をあるいは大切な人を、失う。
人類は 次作の4では 「機械軍に勝つために戦った人々は、ことごとく死に、人類が生き残るために戦った人々は、生き残」る。
なるほど、戦争とは、そういうものだ。
そういう意味で、1〜2の 安直なスッキリさわやか物語ではないが、
1〜2を忘れ 4に目を向けるなら、非常に意味のある、なくてはならない経過措置のストーリーなのである。
もちろん、CGは、今回は、すごいですよ。
クレーンチェイス、カーチェイス、トイレで便器破壊しまくり・・・ etc etc
もう少し高い評価があってもいいんじゃないかと思うようなつくりなので
あったりもします。