★ The Tsuchinoko News 2 (つちのこ通信2) ★

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【映画】天地創造

骨太なタッチで描くジョン・ヒューストン監督による聖書の第一巻「創世記ジェネシス」の実写映画化。原題は The Bible in the Beginning となっていて、創世記1章1節から22章のアブラハムがイサクを生け贄にささげるところで、ブツっといきなり終わっているで、天地創造Ⅱとか天地創造Ⅲとか聖書の最終巻まで製作を企図していたのかも知れない。
冒頭、ピントをぼかしたもやもやの映像に淡々と聖書の朗読が続き、アダムとエバのエデンの園で人間が神を裏切るところを描いたあと、大洪水、バベルの塔、ノアの箱船に、ソドムとゴモラと、アブラムが招聘されアブラハムになりイサクを生け贄に捧げるまで、非常に忠実な脚本(というか脚本=聖書)だが大きく分けて、ノアの部分(ジョン・ヒューストン=ノア)と、アブラハム(ジョージ・C・スコット=アブラハム)の部分と、その他の部分という3つに分かれると思う。
CGもなく特撮もあまり発展していない60年代当時において、本作が描こうとする壮大すぎる映像は、いまでも十分に見劣りすることのない大迫力。
とはいえ、冒頭の神が天地を創造するシーンは、想像力がなかったのか、神への畏怖の念がそうさせたのか、だらだらと朗読が続くだけでおもしろくともなんともない。これでは、映画館が教会になってしまう。
それにしても、全体的に、神のことより人間のことが多く描かれていて、人間ドラマとしての創世記にはたしてどのような魅力があるのかよくわからないものが多かった。映画として、本作が映画として描く人間ドラマでのおもしろさは、ノアの箱船のあたりが一番おもしろいのではないか。
この点、同じく旧約聖書を描く十戒よりは、どうも見劣りがする。
たしかに創世記は天地創造からはじまって、あれやこれやと、非常にたくさんの要素が詰め込まれており、十戒が描く出エジプト(エグゾーダス)にくらべて、テーマがあいまいになりやすい。出エジプトが紅海をたたきわってパロ(ファラオ)から逃げるのに成功し、エジプトの奴隷だったイスラエルの解放、脱出劇のカタルシスに比較すると、アダムにしても、ノアにしても、アブラハムにしても、そういう興奮を誘因するような要素が少ない。
そこに、淡々とした演出。
[:240]たとえばアブラハムが実子であるイサクを生け贄に捧げよと、神から命じられ、生け贄の場にたどり着くまで、アブラハムにしてもイサクにしても、そうとうに悩んだか苦しんだか葛藤があったのか(なかったのかも知れないが)そうした部分が短時間で、えらくあっさり描かれているのが残念だ。
もちろん、この生け贄事件は、神がアブラハムの信仰を試す機会となっており、イサクが実際に生け贄にされることはないわけで、このことは、世界中の人が知っている話しでもあるのだが、だからといって、この淡々とした演出はないだろう。役者ジョージ・C・スコットはそれなりに苦悩していたぞ(笑)
短時間に詰め込みすぎなのかも知れない。
ソドムとゴモラの事件も、ロトの妻が塩の柱になったのも、聖書はたしかに淡々と描いてあるけれど、映画にするからには、もう少し描き方があるのではないかとも思う。
この点、映画としては、さほどおもしろいものではない仕上がりになってしまっているのが、非常に残念だ。
エクソシストもそうだったし、パッションもそうだったように、その描き方について監督はずいぶんと悩んだり葛藤があるのだろう。しかし、だからこそ、そこに信仰があるのではないか。
人なのか、自分なのか、それとも神なのか。
そういう意味で本作には、あまり気概が感じられないのである。