【映画】CASSHERN
大亜細亜連邦共和国とヨーロッパ連合の戦争が長引くデストピア。次第に大義名分も失われ、対テロの口実で、老指導者のもと終わることのない戦争が続いていた。
そんなとき東博士は「新造細胞」と呼ばれるIPS細胞のような無尽蔵に生命を生み出せるとされる新技術を提唱、大亜細亜連邦共和国の軍の支援のもと研究を続けていた。
東博士の息子、鉄也は、家族を顧みず研究に没頭する父への反発もあり、軍に志願、戦争へと赴き戦死する。哀しみに暮れる家族の元に遺体となり戻った鉄也だったが「新造細胞」の実験漕につかり生還する。
実験漕により生還したのは鉄也だけではなく、4人の切り刻まれた死体も同時に蘇った。無残に殺された戦争の被害者であった。蘇った4人は「新造人間」を名乗り全人類への復讐を開始した。
そして鉄也は、彼ら新造人間たちに戦いを挑む。新造人間キャシャーンとして。
公開当時、公開前から賛否両論の激しい作品であったが「国産も、なかなかやるじゃない」と思ったものである。とは、いうものの監督の紀里谷氏はPV出身で長編は初監督という経歴のせいか、まとめきれていないのも事実。どうも音楽に合わせたシーンのツギハギといった感がぬぐえず、PVまるだしという印象がぬぐえなかったのは残念なところであった。
キャシャーンという題材、アニメ版キャシャーン全般に漂っていた破滅・差別などの暗い本質は受け継いでおり「ツメロボ」など、なんともダサいデザインの量産ロボを、キャシャーンが、圧倒的スピードの肉弾戦で文字通り「たたいて壊す」シーンなど、各々を見れば、よく出来ている。
しかしながら、主人公=キャシャーン=鉄也と、父=東博士との、親子の確執があったと思えば、軍のトップでも、父子の確執を描き、話が重複していたり、この世は、軍によって帝国として支配されているなか、テロのため戦いは延々つづいており、その中で、アンドロ軍団が登場し、人間皆殺しを企てるが、正直言って「もうすでに、人間どうしが、皆殺ししてるじゃん」と、どうにも、間の悪い印象が残る。話をふくらませすぎ、というか、そのために不必要な、伏線に時間を割いていたり、いささか冗長だ、と思わせる面もある。
とくに親子の確執の下りは、失敗と言わざるを得ない。主人公と博士は、互いに憎みあい、理解することはなく、相互理解を試みようという気配さえない。
反面、ブライキングボスの存在の核心ともいえる過去(秘話)の下りで、非常に重要なファクターとして、家族愛の話が出てくる。かたや、憎しみあい、かたや、愛し合い。哲学的には、愛も恨みも、同じものではあるが、それにしても、スッキリしない。(無論、この物語の核心に、気づいた一部の観衆にとっては、涙なくては、語れないほど、よく出来たストーリーではある。それでも、演出の問題で、たぶん、ほとんど誰も気づかないだろう)
と、監督氏、長編は初めてのせいで、緊張したか、やりたいことを、詰め込みすぎて、観客がついてこれない面も多い、というのは、ひじょーに残念であった。
しかし、それでも、冒頭に述べたように「やればできる、国産」で、この日本で、よくやったなと、感慨深いのも事実である。
紀里谷氏の今後にぜひ、期待したい。(期待してたけど、イマイチですな)
ただ「キャシャーン」というには、あまりに設定や世界観が違いすぎて、はたしてこれは「キャシャーン」なのかと疑念を抱かざるを得ないのも事実。「キャシャーン」というネームバリュー、うただひかるというネームバリューにあぐらをかいた駄作という面もある。実写版デビルマンに次ぐ失敗作としても名高い。
筆者的には「キャシャーン」だと思うから駄作なのであって、そうではない厭世的なデストピアにおける退廃したペシニズムの寓話だと思えば、まあまあの出来だと思っている。しかし、たしかに「キャシャーン」ではない(笑)
どうでもいいかも知れないけど、ブライキングボスの唐沢寿明って、かっこいいね(^^;;...