【会長】20歳までに没
今週のお題「20歳」
私は株式会社エヌジェイシー会長。
ここ数日は、あの何とも形容しがたい寒さがなく、あたたかい。
あたたかい、と言っても寒いことには替わりはないのだが、雪に埋もれる凍てつく寒さというのがないので、私としては大変ありがたく思っている。
ありがたい、とは「自分がうれしい」とか「自分が満足だ」という喜びの表現のように思われているが漢字で書くと「有り難い」、めったとない、あることそのものが難しいという自分ではなく相手への感謝の表れであるように思う。
実のところ、今現在生きていることもまた有り難いのだ。
ご存じのように宇宙に行けば真空で放射線があり生きていくこともまた叶わない。地球上にいるから死なずに済んでいるわけで、この地球上という場所も、別に我々が自前で用意したわけでもなく、元々あるところに、これまた自分で望んで自分の意思で、ここに生まれたわけでもなく、サイコ
ロをふって、本来は宇宙の真ん中に生まれるはずのところを、偶然、地球に生まれてしまった、というようなわけでもなく、難しい科学の法則で、必然においてここに生まれている。また酸素があり、適度な温度があり、水があり、食べ物があり、というようなことも同じく、自分で望んで自分の意思でそうしたわけでもなく、サイコロをふって出た目が良かったからというわけでもなく、ただよくわからない難しい科学の法則で、生きる環境が整っているわけで、ほとんど奇跡的に近い。
まったく、有り難いわけである。
私は、おそらくは20歳にならないうちに没する。
これもまた自分の意思ではなく、人々の望みでそうなっているわけでもなく、サイコロをふってたまたまそうなのだ、というわけでもない。
このような法則やルールは、やはり有り難いのだ。
ここで「ありがたい」という表現をおかしいと思う諸君は少々気をつけた方がよいだろう。「有り難い」のか「有り易い」のかは、ほとんど、自分で決めるすべがない。自分が決めて自分が思うようになることなど、まあ滅多とないのが現実だが、それを自分が「難い」か「易い」か決めることができるというのは、おごりなのかも知れない。
生きることもまた有り難く、死ぬこともまた有り難いのである。
なにしろ、コントロールできないのだから。
私は現在、おおよそ5歳である。
一般的な寿命から言えば、現在、ほぼ半分を生きたことになる。
あと半分、日々有り難いと感謝しつつ、瞑想ともみもみに励みたい。
命とはまったく有り難い。
だからこそ尊いものであろう。
諸君、また来週、会おう。