クリスマスとは。
クリスマスとは、ひとつの祭りであるとか、性夜だとか、サンタクロースという怪人が無償でおもちゃを配達するとか、商戦と呼ばれるガッツリ儲ける期間だとか、いろいろ解釈があるようだが、それはクリスマスではない。
クリスマスは、英語で書くとChristmass。この文字列をよくよく眺めると Christ mass と「キリスト」「マス」の2つの単語であることがわかる。直訳するなら、クリスマスとは”キリストを礼拝すること”である。
うちは仏教だから・・・宗教なんて・・・そういった方も多いことだろう。つまるところクリスマスではないのである。
この東の端の田舎の国でも、数十年前までは、クリスマスとは無関係の商売であっても「聖よしこの夜」が流れ、歌われ、馬小屋の飼い葉桶に生まれる御子イエス・キリストの話が語られ、とキリストにまつわる日にはなっていたのだ。
しかし、80年代頃からは、そうした宗教色をどんどん排除し、イエス・キリストの名は狙い撃ちにされたかように消し去られ、男女が性交にふける日、らんちき騒ぎと散財の日、と、山下達郎になってしまった。
そんなクリスマスについて、本当のクリスマスをご存じか、と聞くと、多くの人が「知らない」「関係ない」「キリスト教の祭りで、イエスキリストの誕生を祝う」と答える。少なくとも12月25日が重要であるかのように誤解がある。
実は、12月25日は、太陽崇拝の別の宗教の祝祭日で、もともとはキリストとは無関係のものであったところ、キリストの福音の伝道のため、乗っ取る形になっただけで、12月25日には深い意味はない。
キリストを信じるクリスチャン(キリスト教徒)にとっては、12月25日よりも春先にある復活祭(イースター)の方が深かったりする。聖書にも、12月25日についての記述はなく、クリスマスをお祝いしなさいというようなことも書いていない。
そんな理由から、クリスマスを無視するクリスチャンもあるほどだ。
では本当のクリスマスとは何か。
先述したようにキリスト・礼拝。イエス・キリストが生まれ、そこに”救い主として生まれたイエス・キリスト”を礼拝しようと人々が訪れた。これが(世界初の)クリスマスである。
イエス・キリストとは何者なのか。
救い主とはどういう意味なのか。
なんのために現れたのか。
はたまた、なぜ現れる必要性があったのか。
彼は自らを十字架はりつけによる死刑の道を進んでいったが、それはどういう意味なのか。悪いことしたから罰せられたのか。
クリスマスには、もよりのキリスト教会で、それを明らかにしてくれる各種イベントが行われている。それは、クリスチャンらのお祝いではなく、むしろ、クリスチャンではない方々へのメッセージなのである。
あなた自身への祝福のプレゼント。
それがクリスマスである。
受け取るも自由、受け取らないも自由。
しかしながら、駅前のティッシュよりも、ずいぶんと素晴らしい贈り物だ。
ぜひ受け取ってもらいたい。
そんなわけで、上記のポスター(チラシ)のクリスマス礼拝は単語としてはおかしい。
キリスト礼拝礼拝となっている(笑)