★ The Tsuchinoko News 2 (つちのこ通信2) ★

重要な話から、どうでもいいことまで。ほとんど役に立たないことを書き連ねています。

【映画】ミスト

モダン・ホラーという言葉が台頭してきたのは、偏にスティーブン・キングの登場による。

それまでは、ただ怖い、ただ悪い、そうした悪のキャラクターが人間を襲う展開のものばかりで、日本風にいうなら「お化け屋敷」であり、「ジャットコースター」であり、刺激的な恐怖を味わうために存在していたようなものだ。

日本には少ないが、米国などでは駐車場に大きなスクリーンを配置、屋外シアター(ドライブインシアター)とするような文化があり、そこで上映されるのは倫理もへったくれもないホラーが結構あったりする。血ノリとアイデアさえあれば、すぐに撮影できるホラー映画というジャンルは、若手監督の鍛錬というか登竜門のようにもなっていたりもした。低予算でつくることができて、屋外シアターに配給できるので、市場として一応成立するしてっとり早く資金を調達したり練習したりするには、もってこいの作品種でもある。実際、いまや、名監督と言われているようなハリウッドの監督の多くは、ホラー出身であることが多い。

そんなホラー映画だが、スティーブン・キングは、そこに「人間模様」を、しつこいくらいに折り込み、”恐怖の主役”が、いつも人間であり、ほんとにホラーなの?と疑いたくなるような、ほとんど人間ドラマなものが非常に多い。新しいホラーということで、モダン(現代的な)ホラーと呼ばれ「ああ、怖い」とか、そういう話よりも、登場人物の人間ドラマに主題が置かれる。

いじめられっこの少女が超能力を身につけ学園を血の海にする「キャリー」では、その(超能力の惨劇による)恐怖よりも、いじめ、と、その報復に主題がおかれていたし、筆者が最も大好きな、やはり超能力を扱う「デッドゾーン」では、予知を行う青年がバケモノ呼ばわりされ、差別と迫害に苦しむ様子を描き、それでも最後は、核ミサイルを発射してしまう新大統領の当選を阻止しながら死んでいく、という人間世界への愛情とも言える情景を描いていた。もちろん主題は「人より秀でた能力」を「ねたみ」「そねみ」する人間の悪しき平等感、そうした特殊能力を奴隷のようにこき使いたい人間など、ともかく人の小汚さにある。しかし反面、そうした迫害を受けつつも、自己を犠牲にする主人公の愛も鮮烈に描いたりする。「ペットセメタリー」では、何度も何度も、死んだ家族を呪術で蘇らせる「人の欲望」という家族愛を描き、と枚挙にいとまがない。

「ミスト」は、そんなスティーブン・キング作品のひとつで、タイトルのとおり「霧」につつまれた村で起こる怪事件を扱う。監督と脚本はフランク・ダラボン。やはりキング作品である「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」を手がけた御仁である。

「霧」かあ・・・ 同じくB級ホラーの「ザ・フォッグ」みたいなものかな、と未見だったのだ
 が、先日たまたま観る機会があり度肝を抜かれた。

 
話は、ある日とつぜん「霧」が村を包む。
ここまでは、予想通り。

で、霧の中には、原因不明の 怪虫が多数あらわれ、次々と人々を殺していく。
なんだこれは怪獣ものではないか。
つまらん。

そう思っていたら、非難した人々のなかの、あやし~宗教どっぷりの中年女性が「これは、神の裁きだ」と言い始め、次第に、預言者や教祖としての地位を確立していく。

そして、ついに「彼が、この事件の原因だ。いけにえとして、表に放り出せ」という彼女の号令。激しく泣きながら「ちがう!やめてください!」と叫ぶ青年を、みんなで外に放り出し・・・
あやしいクモのような虫が彼を襲い、血まみれになり、叫びながら上半身だけに・・・と死んでいく。(殺されているようなものだ)

そうした展開に、なんとも人間くさいドロドロさを感じたので、これ、ひょっとしてキング?と思って調べてみると、ああ、やっぱりキングだ。映像も、次から次へと、人体破壊のオンパレード。霧、怪しい殺人虫たち、など、自然の驚異はあるが、ほとんどの場合「仲間の人間たち」によって殺されていたりするところが、いかにもスティーブンキングだ。

もちろん、このミスト(霧)も自然の怪奇現象ではなく、軍のアローヘッド計画の大失敗により起こったことだそうで、やはり「仲間の人たち」によって引き起こされた惨事だったりする。

そして、次第に、それにムカつく人々が決起し、人々は分裂する。
ついに、預言者や教祖を標榜していた中年女性も殺され、
一部の人たちは、こんなところには居られないと、自ら出て行く。

そこは、霧がたちこめ、殺人怪虫がウヨウヨいるところだ。

車を駆って、どこへともあてもないまま疾走する逃亡者。
ついに燃料切れで立ち往生。

恐怖心にかられ「おれたちは、一生懸命にやった」と、あきらめる。
車の中には5人。
たまたま手にしている拳銃の弾は4発。

主人公は泣きながら4人を殺害する。
そして、ひとり、車から表に出て「さっさと殺せ!」と叫ぶ。

次の瞬間、州平の軍隊があらわれ、火炎放射器や戦車で、つぎつぎとあやしい殺人虫を退治しはじめた。軍隊は、地平線の向こうまで続く大軍隊。圧倒的な力で、虫たちを駆除していく。次第に、霧も晴れ始めた。

主人公は、気が触れたように絶叫を続ける・・・

でおわり。

本作の登場人物は、実は、みな、ひっそりと隠れ、ただ待てば良かったのだ。
なにも教祖に従う必要もなかったし、それで、仲間はずれの人間をつくり、いきにえにすることもなかったし、脱出する必要もなく、教祖を敵として殺す必要もなく、そして、4人を拳銃で殺すこともなかったのだ。ただただ、待つだけで良かった。

恐れと怒り、卑怯で臆病な心、人の弱さが災いとなり、待って耐えることができず、すべて己の浅薄な直感だけで、次々と「他人を裁いていった」のだ。

いろんな理由はあるだろう。
自分の命を救いたい。家族を守りたい。
おれたちこそ正義で、あいつは異質だから放り出せ。
こんな目に合うのは理不尽だ(そのとおり、この映画の「霧」も「怪虫」も理不尽だ)

そして、耐えることなく、焦って、直情的に「裁く」のである。
主人公は、「おれは一生懸命やった。あきらめた。だから、おまえたちも、あきらめろ。(一緒に死のう)」と裁く。

そして、他人を裁いた結果、裁かれるのは自分自身なのである。

この結末は、キングの原作にはなく「衝撃の結末」と宣伝されていた。
本来、ねたばれなのだが、どうせ、この文章を読んでしまう人は、ミストなど見ないだろうから最後まで書いてみたのだが(笑) なるほど衝撃の結末だ。

それは、ある意味とてもリアルだったりする。


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