★ The Tsuchinoko News 2 (つちのこ通信2) ★

重要な話から、どうでもいいことまで。ほとんど役に立たないことを書き連ねています。

【会長】母とは何か。

今週のお題「母の日に感謝を込めて」
f:id:tsuchinoko118:20120512103937j:image:left:w300私は株式会社エヌジェイシー会長。諸君、まことにたいへん久しぶりだ。ここのところ、職務が尋常でないほど忙しく、春先の発情期であったことも手伝い、かつ、日々寒暖の差が激しく体調が芳しくないことなどから、なかなかここに登場できずにいた。ようやく少し気力が戻ってきたので、久しぶりの再登場ということになる。諸君も5月病などにやられていまいか、少々心配だ。立派な心がけの目標もよいが、24時間のうち4分の1から3分の1は毎日睡眠をとらねばならず、食事もとらねばならないのと同様に、気力も休憩しつつ細く長く続けねば、続くものも続かない。新しい季節になり、こうあるべきだ、こうしなくてはならない、と、自分にも他人にも、潔癖症の高い目標を立てれば、それは見た目はすばらしいことなのかも知れないし、他人のウケも良いかも知れないが、あっという間に心が折れ、萎えてしまう。人は人、自分は自分。だらだらと、ゆっくり、少しづつ、やっていくのがコツというものだ。
かく言う私も、決してムリはしない。
あきるのも早い。
物事が長続きしたこともないし、高いテンションは1分ともたない。
立派だと、ほめられることにも興味はないし、1日のうち6分の5は寝て・・・いや瞑想して暮らしている。
続いていることは、もみもみと、瞑想くらいなもので、ほかの刺激的なことは、3日坊主ならず数分で飽きる。パワーも尽きる。萎えてしまう。
そんなとき、出来ない自分を責めても、出来る自分を想像しても、出来ないものは出来ないわけで、出来るよう努力することは大事だが、結果に絶対的な確信を以て期待していては、遅かれ早かれ、くじかれるのは物事の道理というものだ。
十分に頑張っている日々なのであれば、これ以上頑張れ、死んでも頑張れというよくわからない内なる無責任な励まし、他者の応援に耳を貸すことなくまったりと頑張っていただきたいものだ。

f:id:tsuchinoko118:20120512103918j:image:right:w220ぜんぜん母の日の話にならないが、なにしろ、私は物心ついた頃には、すでに母はおらず、たぶんきっとおそらくメイビー母は存在したのだろうが、よく知らない。よく知らないので、母の日にならないのだ。
他界したのか、いまもどこかで生きているのか、毛並みはどうなのか目の色も何も知らない。
覚えていないというよりは、知らない。これは、どうしようもない事実だ。

世間並みに、母に感謝し母を大切にと思ってみても、そもそも商魂たくましいプレゼントセールにも興味はなく、ほめられようとも思わないし、そんなことが大切にすることなのか、やや疑問な部分もあるし、そもそも存在しないので、どうしようもない。

批判する気は毛頭ないが、なにしろ、よく分からないのだ。

来月には父の日というものもあるようだが、父も知らない。私は天涯孤独の身だ。

いないことを惨いとか寂しいとは思わないが、もともとの母の日は、母に何かしてあげる、母に買い物をしてあげるというものではなく、亡くなった母を偲びおぼえるものであったようだ。そこで、母をおぼえ思いを馳せつつ、もみもみに集中してみようと思う。

諸君、また会おう。