★ The Tsuchinoko News 2 (つちのこ通信2) ★

重要な話から、どうでもいいことまで。ほとんど役に立たないことを書き連ねています。

【映画】ザ・ライト エクソシストの真実

f:id:tsuchinoko118:20120303063606j:image:left:w220いわゆる祓魔師を描いた作品である。(悪魔と悪魔祓いを描いた作品ではないことに注意)

エクソシスト」という映画作品が世界を席巻してから、悪魔祓いを執り行ってほしいという依頼が続出したらしい。カトリック教会では、それまで名前だけの下級叙階となっていたが、この件以降、司祭職の前に「祓魔師」という位階がおかれることとなった。「エクソシスト」すなわち、悪魔祓いを行う祓魔師のアカデミーも出来上がることとなった(ようだ)
映画の世界の話ではなく、ローマ・カトリックにおける正式な職業が、エクソシストである。

本作では、このアカデミーを通じて、もともと”疑う者”であった青年が、神の僕として祓魔師になり司祭職に就くまでを、サクセス・ストーリーとして描く。

代々うちの家族は葬儀屋か司祭だと、神学校に入学したマイケルは、恩師の奨めで、バチカンの「エクソシスズム講座」を受けることになった。
終始、懐疑的で、自己も”信仰さえも危うい”と認めるマイケルは、「悪魔憑き」の証拠を確認すべく「異端だが一流」のエクソシスト・ルーカス神父のもとへ向かう。
ルーカス神父のもとでは、今日も”父親に犯され妊娠してしまった”少女に儀式が執り行われる。エクソシズム=悪魔祓いだ。

f:id:tsuchinoko118:20120303063605j:image:right:w220青年マイケルは、いかなる異常な現象を直視しても、やはり懐疑的で、あらゆる「考えられうる別の理由」を、つむぎ出しては「悪魔はいない。彼女に必要なのは、儀式ではなく、精神科の医師の治療だ」と断定する。
そんなマイケルに、ルーカス神父は「気をつけなさい。悪魔の存在を信じなくても、悪魔からは身を守れないのだ」と諭す。

結局、疑念は払拭できず、我こそは正しいと信じるマイケルだったが、次々に起こる異常現象に翻弄され、ついには、ルーカス神父にさえも取り憑いた悪魔と対峙することになり、疑念は確信へと変わり、信仰に目覚めていく。

という、マイケルの成長物語。

オカルトホラー映画作品ではあるが、「恐怖」そのものをセンセーショナルに描く、びっくり劇場ではなく、実在の「エクソシスト」の成長過程を描いた作品であるところに注意が必要だ。
当然、別に対して怖くない。
それどころか、観客であるわたしたちが、「悪魔などいない」と懐疑的になるような演出ばかりが目を覆う。とても、うさんくさい。

しかしながら、悪魔の最大の功績は「悪魔などいない」と思わせることに成功していることであり、作中・ルーカス神父がいうように「君は、騙されている。悪魔は、人を欺く」のである。
欺かれるとは、例えば、原子力発電所がメルトダウンを起こしているのに、ソ連製じゃないからチェルノブイリにはならない、とか、放射能汚染はない、とか、明確な根拠と証拠がないのに信じることであり、むしろ、「では、メルトダウンが起きてる証拠を示せ。私が信じられるようにしろ」という態度になってしまうことでもある。

わたしたちが”知る”世界など、とてつもなく狭い。
そして確証を持って証明できることもまた難しい。
テレビでセンセーショナルに殺人犯だと報道され、すっかり何十年も殺人犯と信じていたとしても、ある日突然、実は精度の甘いDNA鑑定で無罪でした、ということもある。
その何十年の間は「彼は殺人犯だ。殺人犯ではないというなら、殺人犯でない証拠を出して、私がそれを信じられるようにしろ」という態度をしていることになる。

作品中では、青年マイケルは"疑う者”として描かれ、徹底して、悪魔の存在を否定する。それはすなわち、神の存在さえも否定していることにつながり、信仰という問題を前面に押し出す格好になっている。

さて、映画のポスターにも登場しているルーカス神父は、「ハンニバル・レクター」でおなじみのアンソニー・ホプキンス。この役所のオファーがあったとき「また気味の悪い男か・・・」と、呟いたという話があるが、また「異端だが一流のエクソシスト」を”快演”している。

ただし前述のように観客の「恐怖をあおる」作品ではないので、その”快演”に恐怖を感じたりすることは、抑え気味。
アンソニー・ホプキンスの”快演”を期待していると、肩すかしにあう。

逆に、アンソニー・ホプキンスであらねばならぬ役所なのかというと、やや疑問ではある。

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本作を観て、悪魔がいるのかいないのか、その存在を信じるか信じないかは、観客個人の感想にお任せするとして、

だから、いないのだ

ということにはならず、そう信じても身を守れない、というルーカス神父の台詞を、どう考えるのか。
むしろ、そこに、マイケルの成長の鍵が描かれていると言える、と同様に

アンソニー・ホプキンスで、事実を基に描かれたオカルトホラー、だ

と信じたところで、おもしろいかおもしろくないかは決まらない。

と書いて映画小話を締めたいと思う。

実に、自分が信じるかどうかなど、自然界には関係が無いのだ。
あるものはあり、ないものはない。
むしろ、自分の思い込みを信じること=自分を信じることこそ、危ういのかも知れない。