★ The Tsuchinoko News 2 (つちのこ通信2) ★

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【映画】あしたのジョー

60年代後半のいわゆる高度成長期が終わり、しばらく経って、80年代というよくわからない何でもアリなバブリーな時代において、「あしたのジョー」は1と2の映画化され公開された。映画化といってもテレビアニメ版の焼き直しではあるが、高度成長期が終わったという時代背景、原作も終わりしばらくして話しを整理、矛盾をなくすなど、随所に的確な手入れがなされ、1本の作品として良くまとまっている。
アニメ版にしろ、実写版にしろ、こうしたマンガ原作のある場合の映画化は、2時間という非常に短い枠組み(2本立てだとしても、やはり短い)の中で、まとめあげるのはずいぶんと難しいようで、駆け足的に話しが進むダイジェスト版といった色合いが濃い。しかしながら、本作では、監督の出崎統の力量か手腕か、ともかく、1本の映画としてずいぶんとよくまとまっている。
テレビアニメ版の冗長な部分はカット、話しが横道にそれるようなエピソードは思いっきりカット、逆に矛盾があるような場合には新たに話しをつけ足しと、現代でこうしたことをするなら”原作軽視”とマンガファンが怒るのではないかというほどに、”監督の作品”となっている。

よく”名シーン”だと、途切れ途切れの(前後関係などよく考えないで)著名でキャッチーなシーンがあると、どれもこれも入れたくなるのが人情だと思うが、それで大筋(全体像)がわけがわからなくなり、木を見て森を見ずという結果になってしまうことがある。

多くのマンガ原作ありの映画化作品がそうだと筆者は感じており、はたして、オタク文化への気遣いがそれほど重要なのかと疑念を持っていたりもする。もちろん、ファンあっての作品だし、新規ファン層を開拓するためのライトなファン向けの演出も否定はしないが、媚びたらオシマイだ。作品は作者のものであり作者の表現である。ファンの私有物ではない。こと、あしたのジョーのような世界観では「金を払って買ってやってるんだから」とか「客がいるのだからこそ、おまえたちは存在している」というような消費に媚びたようなシーンは一切出てこない。当然、マンガ原作の切り貼りであって欲しくはないし、実際公開された作品も、そうではなく、出崎監督の映像作品となっている。

ストーリーについては、あまりに著名なので割愛するとして、本職の声優ではない俳優(アイドルグループジャニーズ出身のあおい輝彦、藤岡重慶)があまりにハマりすぎて他の布陣は考えられないほどの強いイメージを残しており、これが実写版のウケがよくない一つの要因になっていたりする。

また作中、力石徹が壮絶な死を遂げるが、本作では、それは主題ではなく、ジョーが突進して最後まで戦い燃え尽きることにこそ本題があることを明確に描いている。たしかに力石の存在は大きいが、実写版が描くように本題にしてしまい他人の死という不幸を表舞台に持ってきては、どうしようもない。主人公のジョーも、力石の死を乗り越えて這い上がっていくのだから。