★ The Tsuchinoko News 2 (つちのこ通信2) ★

重要な話から、どうでもいいことまで。ほとんど役に立たないことを書き連ねています。

【PC】J−ばいぶる2008

f:id:tsuchinoko118:20111103183837j:image:left:w240筆者はプロテスタントのクリスチャンだが、最近、紙の聖書を開いたことがない。iPhone の新改訳聖書ばかりだ。

もともと小さな聖書を好み、小型とか超小型と聞くと、すぐに最新のその聖書を入手していたりしたが、いかんせん(それでも)重い。普段、持ち歩いているツールキット=かばん に比べれば軽いのだが、とにかく荷物は減らしたい。しかし、携行するツールは高機能に。思いっきりコンピューターな発想なのだが、ともかく、紙の聖書は持たず開かず、でずっと来ている。

ところが、最近、過労なのか、疲れ目なのか、激イソの功罪なのiPhone の聖書の小さな字が見えない。
念力でも使っているかのように、目を凝らし、必死で焦点を合わさないと見えないのだった。

老眼という。
ウルヴァリンだ)

iPhone の聖書には文字の大きさを調整する機能があって、大きくもできるのだが、今度は画面が狭い。全体が見えないので、読みづらい。
そこで、通常なら iPad という選択肢になるのかも知れないが、筆者はiPadではなく、変なノートPC thinkPad X220 Tabletを使っていたりする。

この不都合を解決するのに、「J-ばいぶる」という聖書ソフト for windows を使おうと手持ちのJ−ばいぶる(1st)を x220 に放り込んでみた。ところが、うまく動作しない。
開くことは開くが、スクロールしたり、複数開こうとすると、フリーズする。ソフトが古いからだ。いろいろと、動かそうと企んでみたが、なにしろ 16Bit のソフトなので 32Bit以上しか動かない Windows 7 では無理がある。おそらく、XP Mode なら動くのだろう。しかし x220 で XP Mode を入れて起動させるなんてのは、もう、重すぎて。。。
開いたときには説教が終わってしまっていたりするのではないか。

それにしても、古いといっても、2000年以降に発売されているソフトなのにVB4(Visual Basic Ver4)で16Bit というのは、なんとも時代遅れな開発をしているものだ。技術的な理由のほかに、Windows 95 への配慮なのかも知れないが、当時 16Bit OS は、ほぼ駆逐されている状況だったことを思えば、やはり古い開発形態だ。それはさておき、16Bit にこだわっていてもらちがあかないので、

あきらめて最新版の「J-ばいぶる」を購入した。

J-ばいぶる2008 Ver2

その名の通り2008年発売で、XP と Vista 7 に対応している32Bit のJばいぶるである。Ver2というのは、Windows Vista SP2 〜 7 に対応したようだ。開発環境は VS 2005〜2008 で これまたなぜか .NET FrameWork の Ver 2.0。いまは .Ver3.5 が一般的で、最新はVer4.0 だが、これもまた、なぜか古い開発環境でやってある。

・・・と、技術的なことはさておき、さっそくインストール。

動く(笑:あたりまえだ)

とくにこれといって新機能があるわけでもなく、ただ対応した、というだけみたいだ。しかし、あいかわらずの MDI で、なぜか同時に開けるウインドウが 8まで、と、事情がよくわからない制限(著作権かも)があり、マウスとキーボードを、とっかえひっかえ使わないといけない、非常に使いにくいユーザーインターフェースもそのままだ。

もちろん、昨今の(あるいは X220の)タブレットという傾向への対策はないので、指先で、タッチパネルを触って操作するということは、考えられていないに等しい。

iPhone 版の 新改訳聖書の洗練された操作性と並べると、無骨だ(笑)

しかし、検索機能に、同時に複数の箇所を開いて、ウインドウを切り替えて、あっちへこっちへと移動する。この「見やすさ」「使いやすさ」は、スマートフォンの比ではない。どれほどに スマートフォンがもてはやされ、パッドPC(タブレット)が登場しても、こちらの使い方、操作性などには勝てない。

圧倒的に「すばやく」「便利」なのだ。

f:id:tsuchinoko118:20111103183816j:image:right:w240表示フォントを、Windows 7 標準のメイリオにして、サイズも24にして、x220 をタブレットにして、読んでみた。

なんと、読みやすい。

画面の切り替え。ほかの箇所を開くときには、指先では、やはり使いにくく、ペンの登場が必要だが、ペンを使うなら、なんにも困らない。

求めていた環境が整った。

すばらしい。主に感謝。主を賛美しましょう。ハレルヤ。

さて、PCの聖書というのは、このように「読む」ということにも長けているが、もちろん、選択してコピペ。引用にも優れているのは言うまでもない。日記やブログ、メールなどで、聖句を引用したいときが結構あるのだが、全部、手で入力すると、「写経」のごとく、困難が多い(笑)
コピペで済むなら、省略したような、自分の言葉を用いず、そのまんま主の御言葉をお伝えすることが容易になる。

PCの聖書に求めるのは、そういうことなのだった。

ソフトとしては、新改訳聖書は、いのちのことば社の著作権の関係で、これ1本しかない。独占なのだが、10000円ちょい、というお値段は良心的だ。なぜ「9800」や「10000」ではなく、10000円ちょい なのかは、なぞだ(笑)

パッケージを開くと、違法コピーと福音は整合性がないのですよ、と、書いてある(笑)

その通りだ。
違法コピーは、盗みだ。

盗んではいけません。
盗んでいたものは盗みをやめなさい。

その通りだ。あたりまえだ。

しかし、意外にも、こういうことが書かれていることから容易に想像がつくように、聖徒にも盗人が多く、後を絶たないのであります。
よく違法コピーだらけの、汚れたPCと、汚れた心を見つけてしまい、哀しくなってきます。よくあることです。普通に(笑)

やめましょう。
聖書に書いてあるとおりです(笑)

実際に礼拝にも所持して使ってみた。たいへん読みやすく使いやすい。ただし x220 Tablet が重いので、片手で持って・・・という使い方は無理がある。左手がしびれ、肩が凝ってしまった。うす〜いタブレットPC(数百グラム)なら、かなり快適なのでしょうな。