★ The Tsuchinoko News 2 (つちのこ通信2) ★

重要な話から、どうでもいいことまで。ほとんど役に立たないことを書き連ねています。

【会長】おすすめの本は聖書ニャ。

今週のお題「おすすめの本」
私は株式会社エヌジェイシー会長。

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これでもかこれでもかと灼熱の業火に焼かれるような残暑厳しいおり諸君は干からびたりしていないだろうか。心配だ。私は存分に干からびている。来週あたりから金沢には秋の涼しい空気が流れ込んでくるようで今からとても楽しみだ。

さて、秋と言えば読書とばかりに「おすすめの本」という今週のお題を与えられたわけだが、私の愛読書は全世界ベストセラー・ロングセラーダントツ第一位の「聖書」だ。
「聖書」とは「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。それは、神の人が、すべて良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」と第2テモテ3章16〜17節に書かれているとおり、作者は「神」だ。


日本では「神」というと、「すごい人」ということになっており(○○の神さま、野球の神様、AKB48ネ申テレビなど)「聖書」が言及する「神」ではないので、「神」とは言わずに「創造者(クリエーター)」と呼んだ方がいいのではないかと思われる部分もあるが、ともかく書いてある内容は、スプラッター真っ青の残酷な描写も多々織り交ぜられながらの「教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です」なのだ。

例えば「クリスマス」という儀式がある。
日本では、クリスマスといえば、ケーキを食ってエッチをする半ば乱交パーティのような印象もあるが、その名の通り「キリスト」「ミサ」で「クリスマス」。すなわち、キリストを礼拝することを意味する。決して男女の交配ではない。

キリスト、すなわち、イエス・キリストは、「互いに愛し合いなさい」とか「汝、敵さえも愛せよ」と、「愛」「愛」「愛」の体現者でもあるのだが、この「愛」、単に相手を好きになる、というような「愛」とはちょっと違う。でなければ「敵さえも愛せよ」という言葉にはつながらない。「愛する主体」は自分にあるのではなく「相手にある」方の愛で、ギリシャ語では「アガペー」というようだ。
カンタンに言ってしまえば、自分が相手を好きになる、相手も自分を好きになる、というような「愛」ではなく、「愛ゆえに自分の全てを犠牲にする」という方の「愛」だ。

f:id:tsuchinoko118:20110915224011j:image:right:w220その「愛」の体現は、”神に対して罪を犯した”者たち全ての身代わりとなって十字架にかかって死ぬ、という、すさまじい「犠牲」で、このことを聖書では一言で「愛」と言っている。

「愛」と聞くと、柔らかく甘美で素敵なイメージがあるが、「愛する」とは、かくも凄惨な酷い覚悟と気合いが求められる。宗教くさいと言ってしまえば、それまでだが、果たしてそうだろうか。

子を守る母の愛、好きな人のために自分のことをもいとわぬ愛。
実は、そこいらにホンモノの愛の一部は垣間見ることはできるのである。
ただ、年中ずっと、すべての人が完全にそれを行うとなると、不可能なだけで。(だから、罪人なのだ)

聖書は「愛」だけでなく、しこたま、様々な訓戒が書いてある。

箴言・金言・なにも「キリスト教団」に属し、信仰をもっているか持っていないかに、関わらず、箴言・金言だ。

「なまけ者よ、ありのところへ行き、そのすることを見て、知恵を得よ。 ありは、かしらなく、つかさなく、王もないが、夏のうちに食物をそなえ、 刈入れの時に、かてを集める。なまけ者よ、いつまで寝ているのか、いつ目をさまして起きるのか。 しばらく眠り、しばらくまどろみ、手をこまぬいて、またしばらく休む。それゆえ、貧しさは盗びとのようにあなたに来り、乏しさは、つわもののようにあなたに来る。」(箴言6:6-12)

なまけ者が貧乏になるのは、キリスト教だからそうなるわけではない(笑)

「盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。」(エペソ4:28)

キリスト教じゃないから盗んでいいとか、働かなくていいとかいうわけでもない(笑)

そして「愛」についても・・・

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」(コリントI13:4-7)

教会式の結婚式でよく登場する箇所だが、寛容でなく独善的で不親切、ねたみ、自慢し、傲慢に無礼、自分のことしか考えないし、すぐ怒り、他人の悪口・不満を言い、ずるいことが大好きで、我慢が足りない・・・・ という「愛」って、どんなんだろう。(笑)いや笑い事ではないのかも知れない。いまの世は単に「性欲」のはけ口としての「好き・嫌い」が蔓延してしまい、無関心がはびこっているのかも知れない。男女の交配の愛は、得てしてそういうものでしかないことが多い。悪いとは言わないが、成長していない子供のような自分の欲求が、そのまま性欲になったようなものが「愛」と呼ばれているような気もしている(笑)

このことは宗教だから、キリスト教だから、という話で避ける話でもないだろう。

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私は、目の前のお金を観ながら深く考える。
このお金は、私にいったい何をしてくれるのだろうか。
このお金を愛したからといって、いったい私はそれだけで幸せなのだろうか。
そもそも、このお金は、どうやって使うのだろうか。
爪で引き裂いたら、つちのこ社長は怒るだろうか。
ぶたに真珠、ねこに小判、会長に日本銀行券。

そして、この秋の夜長に「聖書」をひもとき、考え、そして祈るのだ。

なにしろ私は、まず自分、次に自分。傲慢でわがままで自由で気ままだからだ。

猛省の日々。

ハレルニャ!


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では諸君また来週。

ハレルニャ〜〜〜〜!!