★ The Tsuchinoko News 2 (つちのこ通信2) ★

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【映画】ハンニバル・ライジング

f:id:tsuchinoko118:20110910082452j:image:left:w220ハンニバル・レクターシリーズ第4弾にして、はやりの「ビギニングもの」を、原作者トマス・ハリス自らが続編を執筆、脚本にまで名を連ねる最新の作品。レクター博士の生まれ、青年期を描き、ハンニバル・レクターがいかにして「怪物」となったのか、を描く。

第二次世界大戦中のリトアニア。貴族の名家レクターの家系に産まれたハンニバル。戦争のため両親を失い、幼い妹ミーシャとともに山小屋に逃げ隠れる。そこに現れた逃亡兵たち。空腹の逃亡兵らは、ミーシャを殺しスープにしてその肉塊を食ってしまう。成長したハンニバルは、妹ミーシャを殺し、食った、逃亡兵らに復讐を始める。

人食いハンニバルのビギニングが、こんな”哀しい事件”で、”妹への愛ゆえに”精神が歪んでいったというのは、(こういう言い方は何だが)驚くべきビギニングでも何でもないような気がする。レクターシリーズ第3弾「ハンニバル」の小説版では、物語のラストに「妹への愛」「失った心の空間」が登場したりもしていたが、その流れに逆らわず、実は、ハンニバル・レクターは、深い愛を持ち、その愛を失った過去ゆえに、ああいう風に・・・と、ありきたりな精神病理的こじつけで、作品が描かれてしまっている点は、少々残念であった。

f:id:tsuchinoko118:20110910082648j:image:right:w240むしろ、描くべきは、そうした哀しい過去があったとして、だから、どうして、人食いハンニバルになった、か、だが、そこは、きちんと描かれていない。

作品としても、単なる「復讐劇」で、レッド・ドラゴン羊たちの沈黙で見られたプロファイリングも何もなく、銃や刀をつきつけ「やつはどこだ」と脅す様には、こんなのレクターじゃない〜と思ってしまうほどであった。


レクターの青年期までは、紫式部の子孫と名乗るレディ・ムラサキという日本人に育てられ、教育されたりしているのだが、このあたりも、描き方が中途半端で、レディ・ムラサキが、レクターに与えた影響も、ふたりの関係も作品では、よくわからない。せいぜい、刀をふりまわしていた理由だ。

f:id:tsuchinoko118:20110910082451j:image:left:w240そして、日本の「兜」が登場し、おなじみのレクターのマスク姿に重なるように仕向けていたりもするのだが、あれは、もともと「噛みつき魔」が、不用意に噛みつかないようにするためのマスクであって、チルトン博士がかぶせたもの。レクターのトレードマークというわけでもなく、この演出も意味不明。

と、まあ、なにもかもが、「人気」にあやかった、こじつけで、これといって新しい概念が登場するわけでも、斬新な演出や脚色が登場するわけでもなく、終わってみて「面白かった」も「そうだったのか」も、何にもないところは大変残念であった。

レッドドラゴンに、つながっていくわけでもないし。