★ The Tsuchinoko News 2 (つちのこ通信2) ★

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【音楽】ラジオスターの悲劇

f:id:tsuchinoko118:20110903194100j:image:left:w220かつて日本の音楽市場は閉鎖的で海外音楽を耳にする機会は、ほとんどなかった。
そこに登場したのが MTV という音楽番組で、ただPVを流すという、ほとんどラジオ番組のビデオ版のような放送内容であった。放送時間も深夜、今のようにオーディオやビデオが手頃な価格で入手できるような御時世でもなく、DVD、BDなどもなく高級な家電を自腹で買えないビンボな筆者は、徹夜して観るという肉体派であった。

どのテレビも日本の心と演歌を流し(日本の心は民謡や雅楽だと思うのだが)、つくられたアイドルという人形の露出狂のような放送を流していたころ、唐突に乱入してきた全編英語のPV番組、MTVは、黒船来港さながらであった。

その第1曲目「ラジオスターの悲劇」。原題は Video Killed Radio Star。「ビデオはラジオスターを殺した」というホラー映画かサスペンススリラーのようなタイトルの楽曲。

一部では「ラジオスター殺人事件」と邦訳されていた気もする。それじゃあ火曜サスペンス劇場だ。

ともかく、まだ「ラジオ」が主役だった昔、ビデオという新しいメディアが登場し、もはや「ラジオ」が時代遅れになり、著名なスターを輩出できなくなった頃。すなわち、80年代のことだが、「昔の良さ」と「それが解らない子供たち」の争いのような内容の歌詞で、大変意味深な社会派の内容である。

事実、ラジオは80年代のビデオ文化によって次第に抹殺され、声だけではなく、顔もスタイルも動きも何もかもが表現される新メディア=ビデオに駆逐されていく。
ビデオはその後、ハイビジョンだ、地デジだ、インターネットだ、3Dだと、バージョンアップしていくが、ラジオからビデオへの変遷のような大きなメディア・ギャップは、まだ到来していない。それほどに威力のあるメディア媒体がビデオである。
たとえ、インターネットによりテレビが駆逐されても、ビデオは残り続けていくだろう。

そして、新たなメディア(想像できないけど)が登場したとき、老人となった筆者は、いかにビデオが素晴らしいかを説き、新世代の子供たちに「わからない」と拒否されるのだ。

Somthing Killed the Video Star

将来、そんなタイトルの音楽が登場するのだろうか。なぞだ。

さて本題に戻って、この「ラジオスターの悲劇」。トレバー・ホーン率いるバグルスというバンドのテクノポップの桂作で、ラジオボイス(イコライザーで無線の声ような声になっている声)と、キュートな女性ボーカルの対比がおもしろい作品だ。
このバグルス、いまや、映画音楽の大家とも呼び声高いハンスジマーが裏方ミュージシャンとして参加していたりして非常に興味深い(ジマーは、ラジオスターの悲劇のビデオの中にこっそりシンセサイザー演奏者として登場している)

筆者的にはバグルスは「ラジオスターの悲劇」にはじまり「ラジオスターの悲劇」に終わる。ほかのバグルス曲に対しては、あまり嗜好が合わず評価は高くない。
トレバーホーンとは、しばらくして、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドや、アート・オブ・ノイズのプロデューサー仕事までは、しばしお別れ。決して一発屋ではないが、バグルス=「一発屋」の範ちゅうに、とりあえず置いている。

テクノ黎明期の古い作品なのだが、いまだに、多くのミュージシャンにカバーされていたりして、息の長い愛され方は、日本の演歌の比ではない。筆者の iPhone にも、いまだに入っていて、毎日1回は耳にする、愛らしいテクノポップである。