★ The Tsuchinoko News 2 (つちのこ通信2) ★

重要な話から、どうでもいいことまで。ほとんど役に立たないことを書き連ねています。

【映画】オーメン3 最後の闘争

f:id:tsuchinoko118:20110730060228j:image:left:w2206月6日午前6時。666に生まれ頭髪の中に666と描かれた山犬を母にもつ悪魔の申し子ダミアン。衝撃の誕生、衝撃の事実が明らかにある第1作に引き続き、死んで死んで死んで死んで死んで死んでニヤリと笑うだけの第2作。そして、突然迎える 最終章はタイトルから「OMEN(予兆)」という文字は消え「THE FINAL CONFLICT(最後の闘争)」となって公開された。

冒頭から、かの最終兵器「メギドの剣」が発掘され、荘厳かつ豪華な音楽とともに、剣の数に合わせたように「ダミアン抹殺を誓う」7人の修道僧。さらにはトリニティ(三位一体)の星の並びが予告され、神の子が再来するというのだ。どんな最終戦争が起こるのか、期待に胸が高鳴り、いやおうなく盛り上がる設定である。

その直後ダミアンは聖書を読みながら「獣は殺される」「やつ(神の子)の力が強くなり、わたしは弱まる」「神の子を殺せ、俺は弱まっている」おうちに引きこもって、キリストの像に独り言をブチブチ。
いきなり弱まっている。。。。。。

f:id:tsuchinoko118:20110730060226j:image:right:w3207人の修道士も、どうにもマヌケな戦略のせいで、せっかくメギドの剣を握っているというのに、何もしてないうちから死んでしまう。ほとんど、ただ殺されるためにだけ登場したようなものだ。

そんな中キーマンとなるのは、ダミアンの秘書、女性キャスター。そして神の子。
しかしこれといった活躍もなく、ただ「ダミアンは悪魔の子だ」という第1作から既にわかりきってるナゾを追いかけるストーリーが淡々と続く。

最後の最後に、神の子が現れ、ダミアンも悪魔として全力と尽くして”最後の闘争”を挑むのか、といえば、何にも起こらないまま、女性キャスターに”ついうっかり”刺し殺されるのである。

ついうっかり。

いいのか、そんなんで。

いくら力が弱ってるからって、悪魔の誇りはないのか、ダミアン。

ついうっかり。

それはないぞ。いいのか、そんなんで。

ダミアンはいったい何のために生まれてきたのか。たしかに数件の殺人事件は起きたが、悪魔なんだし、世界を恐怖のどんぞこに陥れるとか、もうちょっと活躍したらどうなんだ。

たいした活躍しないまま、「わたしは弱っている、わたしは弱ってる」とブツブツとつぶやくだけで、ついうっかり刺し殺される・・・・

これがダミアンの最終章なのか。

いいのか、こんなんで。

f:id:tsuchinoko118:20110730060227j:image:left:w320そして感動的な音楽が流れる中、神の子らしい何者かは輝き、ダミアンは眠りにつくのであった。
さらばダミアン。わたしたちは君の名を永遠に忘れない。
画面には、聖書の最終章「ヨハネの黙示録」から”21章”がさりげなく映し出される。

「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

オーメンシリーズとしては、悪魔の子ダミアンがもたらす、恐怖・死などが全て「過ぎ去った」のだ。もうそんなものは過去のものだと、最後を飾っているのだが、ここまで聖書の世界観に従うなら「オーメン」シリーズの主人公ダミアン=悪魔の子は、最初から何をしようと負け戦であることになる。聖書の世界観では、神の軍団に敵対する悪魔軍団という善の王とタメをはる悪の王がいるのではなく、人間をあざむき結果、神に反抗する者=悪魔となった聖書の第1巻「創世記」第3章から、延々と続く”お仕置き”の予告が続き、最終刊「ヨハネの黙示録」で予告通り滅ぼされる(神からすれば)単なる弱い小悪党だ。

悪魔が、この地上において暴れるのも、”お仕置きタイム”が間もなくやってくることが、もう大昔から決まっており、それを知っているので「自分の時の短いことを知って」暴れているに過ぎない。つまり、いくら神の子イエス・キリストに、タメをはったつもりで悪魔の子ダミアンが挑んでも、まったく歯が立たないわけだ。
そう思えば、この「オーメン3 最後の闘争」も、冒頭から「ああ、もう時間がない〜、困った〜弱ってる〜、おれは弱い〜」というのも、(恐怖映画としては失態にしか見えないが)良心的に聖書の世界観を持ち出すなら、この演出で正しいことになる。”最後”の「闘争」というよりは、”最後”の「悪あがき」と言った方がふさわしいかも知れない。

しかしながら「良心的だから」映画が傑作なのかというと、ほんとに、迫力もなく、つまらない。
サム・ニールの名演がモッタイナイ大作でした。