★ The Tsuchinoko News 2 (つちのこ通信2) ★

重要な話から、どうでもいいことまで。ほとんど役に立たないことを書き連ねています。

【映画】コンスタンティン

f:id:tsuchinoko118:20110724075930j:image:left:w240米国産の映画(とくにホラー・オカルト系)では、キリスト教の知識がないと、よくわからない、あるいは、キリスト教の知識があると、より楽しめる作品が非常に多い。本作「コンスタンティン」もその1本で、とくに、キリスト教の知識が”要求される”難易度の高い作品である。

主人公ジョン・コンスタンティンキアヌ・リーブス演)は、エクソシスト(悪魔祓い師)だ。
幼少の頃から、霊が見えるため、あまりの恐怖に自殺したことがある。
今日も、アル中のヘネシー神父の依頼で、少女にとりついた悪霊を追い出すコンスタンティン

「俺の名はコンスタンティン。ジョン・コンスタンティンだ。バカヤロー(あすほー)」

そうつぶやいてから、さまざまな神の息のかかった道具と祈りをもって、悪魔を追い出す。
ときには、悪霊を素手で殴りつけたりもする。
たいへん、ガラが悪い。

時々出会う大天使ガブリエル(聖書に出てくるガブリエルなのかはナゾ)に、罪の赦しと天国行きの切符を求めるコンスタンティン。ガブリエルは、「今、命を失うのは、あなたが、毎日タバコを吸っているからであって、自殺うんぬんの話しではない」と、つれない。キリスト教では、命は神からの賜物で、神のもの。よって殺人も罪だが、自殺も罪だ。罪を犯したものは天国に行けないのは、原則論だが、本作ではそれがコンスタンティンを、「悪魔払い」に駆り立てている理由になっている。コンスタンティンは、ガブリエルに「こんなにたくさん、悪霊を追い出してるじゃないか」と、実績を強調するが、ガブリエルは「それは、あなたが、天国に行きたくてやってることであって、慈悲でも自己犠牲でもない。神の恩赦は期待するな」と、やはり、つれない。

f:id:tsuchinoko118:20110724075928j:image:right:w260この世・あの世。天国・人間界・地獄。その3つの世界は自由に往来できない。天使・人間・悪魔は、それぞれに住み分けられており原則的には往来はできない。中間的な存在ハーフブリード以外は。
しかし、今、地獄の住人悪魔が、人間界に侵入しようという計画が実行されようとしていた。「聖槍」すなわち「ロンギヌスの槍」。すなわち、イエス・キリストを突き刺したローマ兵の槍を用いて、悪魔サタンの息子が、この世とあの世の均衡を破壊し、人間界に侵攻しようとしていたのだ。

いやおうもなく事態に巻き込まれていくコンスタンティン
はてさて結末は。

たいへんガラが悪く自己義認のかたまりで自己中心的。口も悪く態度も悪い、正義のためではなく自分のために”賜った力”を利用する。そして「どうだ。自分は正義だ」とおごり「だから神の恩赦をよこせ。当然の報酬だ」と要求する。そんな人間くさい「悪魔祓い師」コンスタンティンが悪霊たち(悪魔の仲間)と戦う、というストーリー。

「良いこと」を自分で決め、「良いことをしたから自分は良い人」と自己義認をし、「だから、神の恩寵をいただける」という考え方は、キリスト教では通用しない。物語の最後、悪魔の大親分サタン・ルシファーを目の前に、はじめて「自分の命」を「他人のため」に用いて、自己犠牲をしめすコンスタンティン。今までが、どれほど悪くても、赦しを得て天国へと導かれる。こういう世界観は、キリスト教ならではのもの。一般のひとには、よくわからないかも知れない。(コンスタンティンは、その直後、”おまえは悪いやつだから、地獄に来るのが当然だ”と、サタンによって、地上に連れ戻されてしまうのだが・・・)

ある日本の著名映画監督が「日本人は、どれほど、キリスト教徒のふりをしてみても、キリスト教徒になっていない」と揶揄したことがあるが、こういう作品を観るたびに、筆者もそう感じているところがある。
なぜなら、自分は善人だ。と自分の努力。自分の成果、自分の行いを誇り、だからキリスト教徒であり、キリストから善いものとして愛されているという論法を、口では言わずとも、顔に書いてあるように見えることが多いからだ。心の奥底で神ではなく自分を信じている方が多いのかも知れない。聖書では、自分を誇るものは、おごるものとして糾弾される。自分で裁くものも糾弾される。自分は常に悪人(罪人)で、たとえ、キリスト教徒だったとしても、義人ではなく、死と裁きをまつ死刑囚なのだ。

f:id:tsuchinoko118:20110724075929j:image:left:w260本作では、自己中心的な自分のために正義を唱え行うコンスタンティンが、さまざまな事件を通じて、自分ではなく神のため他人のため友のために・・・と成長する様も描かれる。

その過程で、映画のラスト、

愛用のZIPPOライターを死んだ友の墓に置き、タバコではなくガムを噛むコンスタンティンが映し出される。

一部では、禁煙推奨映画と呼ばれていたほどだ(笑)

しかしながらそれは、「喫煙が悪い」から辞めたのではなく、「喫煙によってタールで真っ黒の肺」を、サタンによって洗浄され(笑)再びサタンに連れて行かれないように、という意味であって、わかりやすく言うなら、この世ですべきことを、するというコンスタティンの決意の表れであると捉えた方がしっくりくる。

自分の名によって神の御力をジン(アラジンと魔法のランプのランプの魔神)のように用いるのではなく、ただ神の名によって自分に賜った力を使う、という意識の180度転身を意味する。

自分のために神に祈る(願う)のではなく、神のために。そして隣人のために。

ガラの悪いアクションホラーだが、意外に聖書的だったりする作品である。