★ The Tsuchinoko News 2 (つちのこ通信2) ★

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【映画】マリア The Nativity Story

f:id:tsuchinoko118:20110714064849j:image:left:w2202007年12月公開された「マリア」。原題は The Nativity Story。”出生の物語”って感じだろうか。

キリスト教の「イエス」の出生について、聖書に基づき、かなり忠実に映像化されている。忠実に、というよりは、「そのまんま」で映画的な解釈や演出というものは、ほとんどない。

その点、映画としては、つまらない部類に入るのかも知れない。

邦題は「マリア」となっており、「キリスト誕生の裏にあった、ひとりの女性の物語」と解説され、エンドロールやパンフレットでも、マリア=ケイシャ・キャッスルヒューズの名はトップ。
こう見ると「マリア」=聖霊により懐妊したマリアさんの話に見えるが、映画の内容は、聖書にはほとんど出てこないヨセフが主役に思えるような演出が多い。

f:id:tsuchinoko118:20110714064851j:image:right:w220ほんとうの主役は「イエス・キリスト」であるが、最後まで出てこない(笑) イエス・キリストの誕生までの話を聖書に忠実に再現したというのが本作で、その点「マリア」という邦題や「ひとりの女性の物語」というのは、いささか、いきすぎた販促活動に思う。

予告編にもあったが、川に流されるマリア。勇敢にマリアを助けるヨセフ。(このような描写は聖書にはないが)

ベツレヘムへの長い旅も、マリアはロバに乗って揺られているだけ
で、ヨセフの活躍の方が多い。イエスを産む直前も、マリアは苦しんでいるだけで、必死になってヨセフが走り回る!

どうみても、ヨセフ冒険譚だ。

しかしながら聖書の方では、イエス・キリストが誕生すると、ヨセフはぜんぜん登場しなくなる。どこへいってしまったのかヨセフ。

f:id:tsuchinoko118:20110714064850j:image:left:w220物語としても、聖書に預言される救世主の誕生、という意味は”感動的”なのだが、主人公たちは、一切、危機に見舞われることがなく、せっかくの悪役=ヘロデ王たちが活躍することがなく救世主は、神によって守られ、命が危なくなる一瞬は皆無。そういう意味で、カタルシスは何もないに等しい。
(神の護りは、いつも無手勝流なのだ!その理由は旧約聖書に書いてある。人間たちが自分たちの努力だと傲らないためである)

作品中の演出も、そもそも、マリアもヨセフも、命を狙われていることを知らないのだ。

さらには、ヨセフの冒険譚も、救世主の命を守るためというわけでもなく、悪役どもに追われているわけでもなく、ただ、王の命令でベツレヘムに住民登録をしに行くだけ。これといったサクセスもない。

キリスト教の信徒にとっては感動の事実であっても、一般公開映画作品としては、それほどの作品ではない。

筆者が石川県の劇場に足を運んだ際は、お正月期間1月6日(日曜日)に鑑賞しにでかけたのだが、観客は20名ほどであった(笑) 劇場の経営に影響を及ぼさないか心配であったりした。

本作が全国公開された12月といえば、クリスマス。

本作は「ほんとうのクリスマス」「世界初のクリスマス」すなわちキリスト・マス=キリスト・ミサ=キリストを礼拝、を描いている。こと日本では、クリスマスに、キリストの生誕を祝う人々は、ものすごく少ない。